祝・生誕25周年!任天堂ゲームボーイ!


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25年前の1989年4月21日のことになりますが
任天堂より本格的携帯ゲームハード
ゲームボーイが発売されました。


ファミコンの発売日は覚えていた私ですが(笑)
ゲームボーイの発売日はすっかり忘れておりました。


流石に発売日当日には買いませんでしたが
割りと発売してからすぐ、地元のおもちゃ屋である
日野屋(現・COMG)にて本体を父に買ってもらったのを覚えています。


今回、ゲームボーイのことを思い出したのは
たまたまこんな記事を見たからでした。

“ソーシャルゲームの先駆者” ゲームボーイ発売25周年を迎え、海外メディア改めて絶賛

 4月21日、任天堂の代表的携帯型ゲーム機『ゲームボーイ』の発売から25周年を迎え、海外メディアがこれに関する記事を掲載している。

中略

【ゲームボーイと共に育った人々の声】

 『NDTV Gadgets』には、子ども時代をゲームボーイと共に過ごした人々の声も掲載されている。中には、最近のゲームは複雑すぎて、昔のシンプルなゲームが懐かしいといった意見や、両親に叱られないために自宅の居間以外の場所で遊べる携帯性が重要だったという声もある。

 また、ガーディアン紙の読者コメント欄では、以下のような書き込みに高い評価が付けられている。

・初めてプレイしたときにはとても大きかった。

・オリジナルのゲームボーイほど好きになったコンソールはない。

・幸せな子はゲームボーイを持ち、哀れな子はゲームギアを持っていた。

・今月はアルバム『パークライフ』の20周年とも『ビルとテッドの大冒険』の25周年とも聞いた。これに対処するには、「長年」と勘定される時間を、例えば進化論や石炭の生成と関連付けて、計り直す必要があるわ(溜息)。


海外メディアの記事を翻訳した記事ですが
なかなか、最後のコメントが面白いですね。
一部辛辣なものがありますが…(笑)


以前、カレーの記事でも書いたような
外国人ならではのコメントも見られます。
最後のはよくあるパターンのレビューですね。


さて、ゲームボーイといえば
携帯型ゲームハードの先駆者として
もはや盤石の評価と地位を得たハードですが
元々は、それ以前に任天堂が発売していた
ゲーム&ウオッチが下地にあるのは間違い有りません。

ゲーム&ウオッチ

ゲーム&ウオッチ(ゲームアンドウオッチ、GAME&WATCH)は、任天堂が1980年より発売した携帯型液晶ゲーム機(電子ゲーム、LSIゲーム)。CMなど一般での呼称は「ゲームウオッチ」。



もう34年も前のハードになりますが
ゲーム&ウオッチは、1つの機械に1つの固有のゲームが
入っているだけで固定されていたのに対し
ゲームボーイはカードリッジソフトを入れ替えて
一台で様々なゲームを遊べるものとなりました。


ゲーム&ウオッチや、ゲームボーイを開発したのは横井軍平氏。
横井氏は、任天堂の古くからの社員であり
あの、伝説のウルトラハンドを考案した任天堂社員です。

ウルトラハンド

原始的なマニピュレーター(マジックハンド)であり、手元で開いたり閉じたりすることで、ハンドが伸びて目標を掴み、縮めてから放すという構造(パンタグラフ式)になっている。この構造が子供に受けて、140万個も売り上げる大ヒット商品となった。発売当時の定価は600円。

任天堂社長の山内溥が命名した。命名の由来は1964年東京オリンピックの名残でウルトラCという言葉が流行っていたためである。

任天堂で設備機器の保守点検の仕事をしていた横井軍平が暇つぶしで社内で手製の伸び縮みするハンドを作って遊んでいたところを任天堂社長の山内溥の目に止まり、山内から「それを商品化しろ」と言われたのがウルトラハンドのきっかけとなった。


見れば誰もがわかると思われる、ウルトラハンドの画像は↓こちら。

ウルトラハンド
元々任天堂は、京都を拠点とする
花札・かるた・マージャンパイなどを販売する
メーカーでしたが、この頃は社長である
故・山内溥氏の意向により、多角経営に乗り出していました。


多角経営には、任天堂がこんなことをやっていたのか!
と驚くような業種が多々有り、コピー機の製造、育児用品の製造
食品会社、タクシー会社、果てはラブホテルの経営までしていたといいます。

任天堂元社長 故山内溥氏 素晴らしい失敗だらけの経営者

■たくさんの失敗と、復活

例えば、任天堂の主力商品がトランプだったころ、多角経営に乗り出しダイヤ交通株式会社というタクシー会社や、三近食品という食品会社を設立。しかし、どちらも上手くいかなく経営から撤退。多角経営に失敗した頃、任天堂本体もトランプの売れ行きが落ちてきて経営が危うくなっていきます。



その危機を救ったとされるのが、かの有名なゲームボーイの生みの親、横井軍平氏でした。横井軍平氏が開発したウルトラハンドが大ヒットします。しかし、多角化経営路線は続き、「コピラス」という家庭用の小型印刷機印刷機を発売してみたり、「ママベリカ」というベビーカーを作ってみたり、あるいはラブホテルの経営なんかもしていたぐらいです。そして玩具以外のどれもが、失敗に終わります。



任天堂「失敗の歴史」 ~インスタントライスから3DSまで~


失敗は成功の母とも言いますが、今の任天堂が出来上がるまでには
このような苦難の時代もあったのですね。


話が脇に逸れてしまいましたが、これらの携帯型ゲーム機を
考案し世に出した、横井軍平氏は枯れた技術の水平思考
という考え方が、余りにも有名かと思います。

色端にほへと
横井の哲学に、「枯れた技術の水平思考」という言葉がある。

ここでいう「枯れた技術」とは、「すでに広く使用されてメリット・デメリットが明らかになっている技術」のことで、これを利用すると開発コストを低く抑えることができる。「水平思考」(エドワード・デ・ボノ(英語)提 唱)とは、今までなかった使い道を考えるということである。「ゲーム作りは面白ければよく、ハイテクが必要なわけではない。むしろ高価なハイテクは商品開 発の邪魔になる。そのためにごくありふれた技術を使い、それをまるで違う目的に使うことによってヒット商品というものは生まれるのではないか」という考え である。


枯れた技術の水平思考という考え方は
後の任天堂主力社員の間に受け継がれていき
今現在も、クリエイターとして活躍する宮本茂氏や
現・任天堂社長の岩田聡氏などもこの考え方を、伝統の戦略と位置づけているようです。


後に横井軍平氏は、任天堂を退社し、コト社という会社を立ち上げます。
そして今度はバンダイ(現・バンダイナムコゲームズ)で
ワンダースワンというゲーム機の開発アドバイザーをし、発売までこぎつけます。


そのワンダースワンでは、横井軍平氏の名を冠した
GUNPEYというパズルゲームも発売されています。
(本当は、ガンピーという名前だそうですが、これが横井氏の遺作になった為グンペイとなった)


独立して、自分の会社を起こした横井軍平氏ですが
これから会社も脂が乗ってこようかと言う頃の
1997年に、交通事故死で他界してしまいます。
56歳の余りにも若すぎる死でした。


ちなみに、株式会社コトは今でも事業を存続しており
会社は創業者の横井軍平氏のDNAを受け継いでいると公言しています。


株式会社コト



ゲームボーイの話のつもりが
横井軍平氏の話ばかりになっていますが
ここで、ゲームボーイの逸話でも。


ゲームボーイ、ひいては任天堂ゲームハードは
頑丈さがウリと言うのは、ゲーム好きなら周知かと思いますが
ゲームボーイはおそらくその中で1つ図抜けています。


なぜなら、湾岸戦争の爆撃に耐え抜いたという事実があるからです。(笑)

ゲームボーイ

子供が触るものであるため、ゲームボーイ本体には厳しい耐久テストがあり、頑丈に設計されている。任天堂は湾岸戦争の際にアメリカ軍兵士に暇潰し用としてゲームボーイを提供した。その後、空爆で倒壊した兵舎から発見されたゲームボーイは、外装がひどく焼けていたが内部には問題はなく、正常に動作したというエピソードがある。このゲームボーイは、現在ニューヨークの任天堂直営店「Nintendo World Store」に保管展示されており、触ることは出来ないが、常時テトリスのデモ画面が動いている。


Youtubeにも置いてある、爆撃を受けたゲームボーイ本体の動画は↓こちら。




爆撃を受けても動作とか、どんだけだよ!と突っ込みたくもなりますが
子供が使うこと前提なので、この頑丈さもわかる気がします。
実際、自分が子供の頃はしょっちゅう本体を落としていましたし…(笑)
画面に線が入るようになりましたが、ゲーム自体が動かなくなったということは確かになかったですね。


あまりにも頑丈であるがゆえに、その頑丈さを試す際に
ビルの高層から落としても壊れないテストをしているですとか
ゲーム機本体を、壁に全力で叩きつけて耐久力を試した
などといった、都市伝説(?)も実しやかに語られたぐらいです。


また、ゲームボーイの歴史を語る上で、忘れてはならないのは
ポケットモンスターの存在でしょう。


今や、日本どころか全世界で熱烈なファンを生み出し
関連市場は、兆単位を余裕で超える超巨大市場になっています。

【速報】『ポケットモンスター X・Y』は2013年10月12日(土)に世界同時発売!【Nintendo Direct @ E3 2013】

●世界中の多くのファンに支えられる『ポケットモンスター』シリーズ

 1996年、『ポケットモンスター 赤・緑』から始まった『ポケットモンスター』シリーズは、世界中で多くのファンを獲得。これまでのシリーズの全世界累計販売本数は約1億7200万本以上となっている。また、ゲーム、カードゲーム、MD、アニメ・映画などを含めたポケモンの累計市場規模は、国内約1.8兆円、海外約2.2兆円、世界累計約4兆円となり、ゲームだけでなく、さまざまなエンターテインメント分野で世界中のファンに親しまれている(2013年3月末現在。データは株式会社ポケモン提供)。


ポケットモンスターは、赤と緑が1996年2月27日に
ゲームフリーク開発・任天堂販売で発売されたゲームであり
当時、次世代据置型ゲームハードに席巻されつつあり
売上を大幅に落としていた、ゲームボーイを蘇らせた作品です。


インターネットも一般的ではなかった時代に
子供たちの口コミで、徐々に徐々に売上を右肩上がりに伸ばしていき
最終的には、赤・緑と後に発売された青を加えて
1023万本の売上を達成するというモンスターソフトになりました。


このヒットを受けて、ゲームボーイのハードとしての寿命は延び
ゲームボーイアドバンスが2001年に出るまでの間
携帯型ゲームハード市場を独占しました。


ゲームボーイポケットと言った廉価版や
ゲームボーイカラーと言ったバージョンアップ品も
果ては、後のゲームボーイアドバンスやニンテンドーDSも
このポケモンのヒットがなければ生まれでなかったかもしれませんね。


発売25周年を迎えたゲームボーイですが
まだまだ現役稼働しているという、レトロゲームファンも多いことでしょう。
ファミコンが30年以上経っても健在なように
ゲームボーイも、まだまだ末永く愛されていってほしいものです。

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