本日は七夕!七夕にまつわるウンチク。


スポンサードリンク


政治的なニュースなどにすっかり染まってしまった
当ブログ、にせかもの気になる日常ニュースでございますが
やはり、時には一般的な風習のウンチクを語らねばなりませぬ。


というわけで、7月7日の日本人にはお馴染みの
七夕のウンチクを調べるとします。


七夕といえば、まずは織姫と彦星が天の川をわたって
一年に一回だけ会えるという何ともロマンティックな日ではございますが
まずは、織姫と彦星の関係について語るとしましょうか。


一年に一回しか逢えないという設定から、織姫と彦星は
恋人と思っている方も多いと思われますが、実は2人は
既に結婚している夫婦となっています。


つまりは、織姫と彦星の2人は別居している夫婦となります。
遠距離夫婦とでも言えばいいのでしょうかね?(笑)
それでは、なぜ2人は結婚しているのに一年に一回しか逢えないのでしょうか?


それにはまず2人の関係を知ることが必要です。
まず織姫は、天帝の娘であり機織りの名手でした。
そして、彦星はとある牛使いの男性です。


織姫は機織りの名手でしたが、仕事に没頭し自分の事はあまり気にしていませんでした。
そんな娘を見て天の神である天帝は、年頃になった娘の織姫の結婚相手を探します。
その時に現れたのが、天の川の向こう岸に居た彦星です。


2人は、すぐさま恋に落ち結婚をすることになるのですが
今度はあまりにもイチャイチャしすぎるようになってしまい
機織りの名手の織姫が仕事をしなくなってしまったのです。


そして、彦星も本来の仕事をサボるようになってしまったため
このままではダメだと思った天帝は、2人を引き離します。
しかし、悲観にくれた織姫も彦星も以前のように仕事をしようとはしません。


そこで、技芸を磨き勤勉に働くことを条件に年に一度の再会を許すことにしました。
その日が、本日七夕になるというわけです。


その際は、天帝が用意したカササギ(漢字で鵲。スズメ目カラス科の鳥です)に乗って
天の川で一夜限りの逢瀬をすることになるのです。


七夕伝説は中国から伝わった伝説ですが、今現在の形になるには
何回か変遷があったようです。

七夕のはなし

3.七夕伝説の成立とその発達
 上記のような七夕伝説はすぐに成立したのではなく、長い時間をかけて完成されまし た。ここでは、洪淑苓著、『牛郎織女研究』(1989、学生書局)の内容に従って、伝説の 形成されていく過程を紹介します(ただし本は中国語で書かれているため、少々解釈に誤 りがあるかもしれませんので、ご了承下さい)。

(1)胚胎期
 七夕のお話はもともと中国のものです。織女と牽牛という名前が初めて登場するのは 春秋戦国時代ころまでの詩を集めた『詩経』国風編(孔子の編集といわれる)です。しか し、そこには星の名称として「織女」、「牽牛」とあるだけで、二人の恋愛の話は全く見ら れません。

(2)雛形期
 また漢代の『史記』天官書には「牽牛為犠牲」、「職女、天女孫也」という文がみられ、 伝説の片鱗がうかがわれます。また、同じ漢代に編纂された『文選』中の「古詩十九首( 古詩十九編とも)」には、「二人が天の川の両岸に別離し、話をすることができない」とい う文が見られる。

(3)形成期
 魏晋南北朝時代になると、七夕伝説が次第に形成されていく。
 『文選』曹植洛神賦の中にある李善の注によると、「曹植九詠注」に牽牛は夫で織女は 妻であること、織女と牽牛の星はそれぞれ銀河の傍らにあること、1年に一度7月7日 に会う事などが書かれている。また『荊楚歳時記』会引には、「伝玄(217~278)の『擬 天問』には、7月7日に牽牛と織女が天河で会う」と書かれている。従って、3世紀の初 頭には二人が7月7日に会うという話が次第に形成されてきた。
 そして南北朝の梁時代(6世紀)に書かれた『荊楚歳時記』には、これらの話がまとま って紹介されている。

(4)唐代以降
 唐代頃になると、カササギが橋の役割をして、二人が会うのを手助けするという話が 生まれ、宋代に盛んになった。


以上のような過程をふんで、徐々に成立していったようです。ほかにも、民間故事の要素 なども入り、現在のような形になったようで、単純には語れないようです。また細かい議 論がありますが、とりあえず概略の紹介にとどめておきます。


いつも調べて思うことですが、民間伝承の変遷とは実に不思議なものです。


さて、この織姫と彦星ですが、星座好きなら
夏の大三角形と呼ばれている、星座を構成している星であることを
知っている方も多いと思います。


織姫がこと座のベガ、彦星がわし座のアルタイル。
そして、その2人の仲を取り持つカササギがはくちょう座のデネブであるということです。
この3つの星座は、某アニメのアニソンを聴いていればおなじみの人も多いかもですね。

http://youtu.be/LDQz-pgWX5s


ちなみに、こと座のベガとわし座のアルタイルは距離にして
15光年ほど離れているとのことで1年に一回の逢瀬は無理な話ですが
まぁ、このツッコミは野暮というものではあります(笑)


七夕については、後はお馴染みの笹の葉に短冊に願い事を書いて
吊るしておくと、願いが叶うという俗説がありますが
こちらの風習はいつ頃生まれたものなのでしょうか。


風習自体はやはり、中国からの影響が色濃いもののようですが
庶民の間に広まったのは江戸時代の頃のようです。

七夕かざりのはじまり

七夕といえば、かざりと短冊の2つが挙げられます。これらのかざりは、いつはじまったのでしょうか?
奈良時代には中国の影響が強く五色の糸を星にお供えする習慣があったようですが、その後室町の頃に書道の上達を願い硯(すずり)や墨、短冊に書いた和歌などをおさめるようになました。(歴史・由来のページ)でも説明した通り、広く一般に普及したのは江戸時代になってからのことでした。そして現在は色紙で夏の風物詩をかたどったさまざまなかざりや、短冊などをかざるようになりました。
ちなみにかざりのひとつひとつに意味があるものもあります。


同じページの中で、飾りのそれぞれの意味を表すものが書いてありますが
これらは初めて知りましたね。千羽鶴は家族の長生きを願うものなのですね。
ちなみに、笹の葉に吊るす由来ははっきりとはわかっていないようです。


ちなみに、日本では旧暦であれば梅雨も明け晴天の日が多い頃になりますが
現在の、暦では7月7日は梅雨真っ最中であり、全国的に晴れる確率が低い日になっているようです。
東京などは、晴天確率20%ほどであって、晴れる日のほうが珍しいようです。
私の地元新潟は、今日は雨でやはりと言うか星を見ることは出来ませんでした。


7月7日に降る雨は、織姫と彦星が流す涙とも言われており
催涙雨(または洒涙雨)という名前がついているそうです。


更に、前日の7月6日に降る雨を洗車雨と呼び
これは、織姫に逢いに行く彦星が自身の牛車を洗っている雨になるのだとか。
七夕と言っても、深く調べてみるとなかなかおもしろいですね。いつものことですが。

ちなみに、七夕の童謡に出てくるきんぎんすなごという単語ですが
金銀砂子と漢字では書き「天の川は星がきらきらきらめいて、蒔絵や襖絵に蒔かれた金粉、銀粉のようだよ」
という意味の言葉であるそうです。調べてみるとこれも面白いですね。

スポンサードリンク



あわせて読みたい関連記事

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ